頭蓋骨952個が埋められたタワーinセルビア
こんにちは。テント担いで世界一周中の@ayatanedです!
はじめに
前回の記事では、セルビアで訪れた街について、サクっとお話ししましたが、その中でも衝撃的だった1つの観光地のお話しをしていきます。
頭蓋骨が埋められている石造りの塔
バルカン半島最古の町のひとつであるニシュは、最初のキリスト教徒のローマ皇帝コンスタンティヌス1世の生誕地として有名です。
また、セルビア人軍勢が始めてオスマン帝国に対して蜂起した「チェガルの戦い」があった歴史的に重要な場所でもあります。
1809年、トルコからの解放を目指した蜂起の中、チェガル丘で1万人のトルコ軍に対し3千人で戦いに挑みました。
トルコ軍はオスマン・トルコの圧制に反旗を翻した反乱軍を容赦なく惨殺し、後世への見せしめのため、なんと反乱軍の頭蓋骨952個で塔を築かせました。
その塔は「チェレ・クラ(ガイコツの塔)」と呼ばれ、ニシュの町はずれに今も残っています。
街から訪れるのに踏切を歩く部分があり、私達が歩いてる最中に電車が通ったのですが、何の警戒音も無かったので気づいたらすぐ近くまできていたので驚きました。
お子様連れの方は要注意です。
塔のある敷地内に到着するとこのスカルタワー看板が出迎えてくれます。
お目当ての塔はこちらの中に。
ドーーーん
建物内は下記の動画にてご覧いただけます。
動画で説明
YOUTUBEにて、歴史マニアの相方が説明している動画を載せました~
歴史
400年以上にわたりオスマン帝国に支配されていたセルビア人は、1809年に拠点都市ニシュを取り戻すべく帝国軍と激しい戦いを繰り広げました。
その最中にニシュから6kmの塹壕に潜んでいたセルビアの司令官スティーブン・シンデリックが、自軍の火薬樽を爆破。急接近した帝国部隊を巻き添えにする集団自決を行いましたが、それは捕虜となって受けるであろう拷問から仲間と自身を救うためだったそうです。
これに激高した帝国軍のフルシド・パシャ司令官は、セルビア軍を打ち負かしニシュ解放を阻んだだけでは満足できず、残忍な見せしめを計画しました。
フルシドは、遺体となった反逆者シンデリックと彼の兵全員の首を切り、頭部をニシュまで運ばせると、現地の毛皮職人を招集して脅迫し、皮を剥いで詰め物を施すよう命じました。
わらの詰め物をされ剥製になった頭部をコンスタンチノープル(現トルコ・イスタンブール)に送り付けたフルシドは、震え上がった配下のトルコ人たちに身の毛もよだつ塔の建設を命じました。
その計画は四角柱の形をした塔の四方の壁それぞれに、皮を剥がれたセルビア兵の頭を17個×14列埋めるというものでした。
フルシドの塔に対する執着心
以後、帝国軍に殺されたセルビア人の頭が次々と加工されて埋め込まれ、952個のさらし首が整然と並ぶ異様な塔が出来上がりました。 フルシドはこの塔の建設にかなり執着していたらしく、途中で頭が足らなくなるとセルビア人捕虜の殺害を命じたそうです。
塔のために無慈悲に殺された捕虜30人の頭は皮を剥がれることなく空いている壁に埋められたとの事。
戦争の野蛮さを伝える塔
死人の頭を並べたおぞましい塔は高さ4.6メートルもあり、反抗したセルビア人への明確な警告になりました。 だがセルビア軍は戦意を鼓舞して戦いを繰り返し、1878年にオスマン帝国からの独立を果たしたのです。
その間にも塔は少しずつ崩れ始め、いくつかの頭が転がり落ちたが、1892年にセルビア軍の戦没慰霊碑として周囲に礼拝堂が建てられ、戦争の野蛮さを伝える象徴にもなっています。
今ではこのようにガラス張りに一般公開されており、壁から外れたシンデリックの頭部も保存されております。
感想
こんなにも多くの生の頭蓋骨を見たことがなかったので、はじめは戸惑いました。これが当時は952個の生首だったわけですから、更に恐怖です。私達が訪れた際、現地の小学生の団体も社会科見学として訪れに来ていました。今でもこのように1つの歴史的建造物として保存している理由に納得すると供に、同じ事態が起きないことを祈ります。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました^^
ランキングに参加しています!
1日1回下記の2つのボタンをポチっとして下さると励みになりますm(..)m